今更感ありますが隻狼(PS4)のプレイを始めた下忍、くのいち佐武です。
進行度は平田屋敷攻略中な感じ。い…伊之助ー!
さて皆さま、不意に記憶と紐づいて行動を起こしたり思い出す事ってありませんか?
例えば誰かの顔を見た瞬間に「そういやティッシュがないから買い置きしとかねば」と思い出すとか。
頭領が寒いからと事務所に石油ストーブをつけてくれたのですが、それを見ていて脳裏に「石炭をばはや積み果てつ」と浮かび、「舞姫」読みたいなぁ、と思ったのです。
この物語と出会ったのは高校3年生の時の現代文の教科書なのですが、まー見事にハマりました。
わざわざ担当の先生に
「舞姫は今後の授業でやる予定ありますか」と聞きに行ったほどです。
学生あるあるかと思うのですが、学生時代の私は興味のない現文の授業の時に、教科書に載ってる物語で面白そうなものがないか物色するのが趣味でした。
(受験の流れだかカリキュラムの流れだかで教科書に載ってるのに星新一のショートショートの授業はなかったのが残念。めっちゃ面白いのに…)
読了後は余韻に浸り、しばしボーーっとしていた記憶があります。
思い返せば、読書中やボーーっと中に、よく当てられなかったものだと思います。
(運がいいのか先生が諦め気味だったのか…)
最初に読んだ時は授業で他人の解釈を聞きたかった、この話をどう料理して授業にしたりテスト問題にするのか知りたかったのですが、舞姫の授業を心待ちにする間に何回も読みすぎて、やっと訪れた舞姫の授業の時は先生の解説を全く聞かない、否、聞くまでもないという謎の自信に満ち溢れていました。
内容がアレな部分に差し掛かると先生の歯切れが悪くなるのも、興醒めして授業を聞かない理由のひとつでした。
言葉選んでる感が実にモヤモヤしたんですね、当時の私は…。(思春期特有の感情)
今振り返れば、担当の先生は30代前半くらいの男性教師、授業とはいえ直接的な表現はやりづらいでしょう。セクハラとか言われかねませんし。
そして、その先生に関して個人的な感情があったから特に聞く気がしなかった…というのもあります。
「高3女子、高校教師にほんのり恋心」
…なんていう淡い感情ではなく、
私は大学受験を小論文1本に絞っていたので、高3の途中からは小論文をひたすら書き続ける事しかしてなかったんですよね。
所属していたクラス自体は国公立文系コースなので、センター試験を受けるべく様々な教科を勉強しているクラスメイトが多々居る中、私は早々にセンター試験を諦め、小論文1本で行こう!…とひたすら小論文の対策しかしていませんでした。
(端から見たら邪魔な奴やで…)
何故かって?模試の結果が、現代文以外は壊滅的だったからです。
当時から諦めが早く、得意な事を伸ばした方がラクだし楽しい派だったので、
小論文1本に絞りました。
小論文と言っても受験項目なので、セオリーがあります。
(語尾はああだ構成はこうだとか)
それを押さえて数をこなせば無難な文章は書けるようになるのですが、
言うてわたくし捻くれ者。
しかも思春期age書き換えOKな年頃真っ盛りだった女子高生くのいちは、
セオリーの中で「いかに捻くれ者感を出せるか」に終始していました。
敢えて常用漢字以外の漢字を使ったりだとかは序の口で、
「論文の主張」そのものが実に捻くれMAXでした。
そして私の小論文を添削してくれていたのが、こちらの男性教師だったのです。
普段から授業以外で接点がないにも関わらず、添削をしてくれたのは今思うと本当に感謝なのですが、当時のくのいちはそんな事露とも思っておりませんでした。
むしろ
「そもそも主張がおかしい」「小説じゃないから含むな」
「常用漢字以外は使うなと何度言ったら分かる」
…と、事あるごとに対立していたので、敵視していた部分さえありました。
(もし会う機会があればこの先生には菓子折りを渡さねばなりません)
そんな敵視している教師の教える、私の好きな作品「舞姫」。
「お前ふだん散々ワシに駄目出ししとるんやから、しょうもない解釈しとったら許さんぞ(そしてお前の解釈なぞ聞きたくない)」
という、非常に上から何様目線で授業に挑んでおりましたので、真面目に聞いていなかったのです。
…とまぁ些末な部分は思い出として覚えているし、物語の概略も覚えているのですが、当時「舞姫」の何がそんなに衝撃だったのかが色褪せてるんですよね。
いま読み返すとまた当時とは違う感想が出ると思いますので、今冬こそは読み返そうと考えています。
また熱が再発して読了後ブログに感想を書くかもしれませんが、その時は生温かい目で見守って頂けると有り難いです。